投稿

晴耕雨読

イメージ
  少しだけ、人生の隙間ができた。 70歳になるのをきっかけに、仕事を半分にして、人にまかせ、そこが私の隙間になった。 働いて当たり前だと思っていた。働かないのは罪悪だとさえ思っていた。 休日というわけでもなく、ただ働かない1日が、急に目の前にあると、何をしていいのかわからない。 晴耕雨読、少し意味は違うかもしれないけど、晴れたら山に登り、身体を鍛え、雨が降ったら本を読んで勉強をする。そして、誰かに呼ばれたら、駆けつけて、役に立つための支度をする。 ささやかな計画がある。この年寄りの医者でも、誰かの役に立つことがあればと、心からそう思う。 図書館が新しい私の居場所になった。本の香りに包まれて、懐かしい本、珍しい本、素晴らしい本に囲まれて、勉強をしよう。美しい思索の森の中で、哲学の散歩をしよう。そして、晴れたら、新しい人たちに出会う準備をして、山に、街に出かけよう。 きっと素晴らしい出会いがあるちがいない。18の年に感じたあの突き抜けるような感動の瞬間が待っている。

新しい診療所に生まれ変わる

イメージ
  隈診療所は、33年前の2月6日に開業しました。久留米大学の医局を退局して、実家のすぐそばに、診療所を開設。36才の春、体力、気力、自信に溢れていました。今思えば、いろいろな方にご迷惑をかけたかもしれませんが、とにかく、大きな海を前に、武者震いをする若い漁師のような気持ちでした。 それから33年、隈診療所は新たに生まれ変わろうとしています。 新しい医師、児島将康先生をお迎えして、私も仕事を半分くらいにします。 もちろん山にも登ります。もちろん、在宅医療も今までどおり、24時間、365日で続けてまいりますが、私自身は、もっと、皆さんの中に飛び込んで行きたいと思っています。医療という枠の中では、救われない人たちを沢山見てきました。もっと自分に何かできないか、もっと患者さんと家族を幸せにできないか、地域を幸せにできないか、そんな思いです。 年をとったのではなく、新しく生まれ変わるのだと、自分一人で考えています。

兄の思い出

イメージ
  私の兄は28歳で膵臓癌で亡くなった。 都会の大学を出て、銀行に勤め。その後、家業を継いだ兄は、私にとっても。両親にとってもスーパースターだった。頭が良くて、おしゃれで、ユーモアがあり、誰にも優しかった兄は、私が超えられない存在だった。 そんな兄が、夏のある日、大学病院に入院したと、医学部にいた私に、電話がかかってきた。とりあえず、急いで、病院に向かった。 ベッドの上の兄は、いつもと全く違う無精髭を伸ばして、片手を上げた。信じられなかった。大した病気などしてこなかった兄の顔を、まっすぐみれないほど、私は動揺していた。 何を話したかよく覚えていないが、、最後に、兄は、「夜が長いんよ」と力無く言ったことは鮮明に覚えている。 夏の初めから腰痛があり、整形外科に通っていたが、黄疸が出たので、内科に受診して、かなり進行した膵臓癌と診断されたのである。膵臓から腰椎に転移していたらしい、それから数日して、兄は死んだ。 私も衝撃を受けたが、母は、それ以上の衝撃を受け、葬儀の前後、廃人のようになり、寝ついていたが、それから数ヶ月経っても、兄の幻影が、うちから見える亀山公園の階段に見えると話していた。 四つ上の兄は、小さい時から妙に大人びていて、私は子供扱いされたような記憶しかありませんが、弟思いのいい兄だったと記憶しています。 あれから、46年経ちました。 写真の中の兄は、若々しい顔つきをしていますが、私はすっかり歳をとり、今年で70歳になります。あの時、感じた激しい悲しみ、行き場のない怒り、後悔、みんな霧の中に消えてしまいました。 喫茶店の椅子に座り、コーヒーが好きだった兄をふと思い出し、会いたいなと思う私がいます。会って、どんな話をするんでしょう。家業のこと、今の仕事のこと、母のこと、父のこと、姉のこと、家族のこと、私の子供たちのこと、孫のこと、兄と喧嘩をしたこと、そして、最後に話したあの晩のこと 取り返せない時間の記憶の中で、泣きたくなるほど、懐かしい瞬間たち、悲しくて切ないけれど、そんな瞬間をくれたあなたに感謝しています。影があるから、光が素晴らしく見えるんだよね ありがとう、そして、またいつか会えるね、きっと

暇げな風貌

イメージ
  がん哲学外来の約 60 分という限られた時間内でなるべく早く信頼関係を築くために、私が心がけていることがあります。それは、「暇げな風貌」、つまり自分を暇そうな雰囲気に見せるのです。忙しそうにしている人間に人は心を開かないでしょう。自分の脇を甘くして、相手につけ入る隙を与え、懐の深さを示す。これが私の心構えです。 (日野興雄 いい覚悟で生きる より)

言葉の処方箋2

イメージ
  96歳で亡くなったうちのばあちゃんが、いつも言っていた口癖です 山より大きい獅子は出ん さきゃさきどんが知っとる 人間、馬桶いっぱい飯や食わん 私がよく外来で使う言葉です 楽しんだもの勝ち 夫婦はしょせん他人 悩みや心配はするだけ損、穴掘って埋める 死ぬまでは死なない 死ぬまでは死なない

暇でお節介な医者のいるカフェ

イメージ
  たまたま、暇でお節介な医者がカフェにいる。そこにたまたま訪れたお客さんは、実は大きな病気を抱えていた 雑談から、始まって、相手が医者だと知ると、急に、どうしても聞いてみたいことがありますと、ポロッと口にした彼は、捲し立てるように話し始めた。 お節介な医者は、ゆっくりとコーヒーを飲みながら、かなり長い間、話を聞いてくれた。時折、ぼそっと、そうですね、それはこうかもしれませんねと、答えにはなっていないかもしれないけど、解説めいた言葉をいくつか吐き出し、また後の話を聞き始めた。 長い時間、コーヒーの香りの中で、緩く会話は続いた。 いつしか、彼の頬には、血色が戻り、唇には笑みさえ浮かんでいる。 言葉と言葉が絡み合い、少しだけもつれただけなのに、言葉は薬のような効果を持ち始め出した。 赤いツツジの花びらが、クルクルと回って、4月の水たまりに落ちて行った。 私の妄想です、多分、、、、、

言葉の処方箋

イメージ
樋野興夫先生が、がん哲学外来で使われる方法ですが、さまざまな人たちの名言や箴言から、患者さんの心を癒すための言葉をご覧ください 「人生いばらの道、されど宴会」 がん哲学外来ホームページより    https://gantetsugaku.org/kotoba/