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7月, 2024の投稿を表示しています

初盆まいり

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  犬とお散歩 初盆を迎えるご家族のお家にお参りすることにした。コロナ以前は毎年、この季節に2週間ほどかけて、可能な限りの全ての故人の各家をお参りしていたが、コロナ以降から、感染拡大を恐れて、控えていた。 今年こそはと考えていたが、コロナ再燃の報道に触れ、ごく少数の方に限定させていただいた。 それ以外の方は、その代わり、一生懸命に書いたお手紙とちょっとした写真を添えて郵送に変えさせてもらった。 実際にお参りしたのは、四人だったが、そのうち三人まではALS(進行性脊髄側索硬化症)の患者さんの御宅だった。 悪性腫瘍の患者さんに比べて、少し長期間お付き合いすることになり、写真を前に、つい思い出話しも多くなる。帰る頃には、蝉の鳴き声も落ち着き、夕暮れの風情になっていた。 いつもなら看護師と賑やかな車内での会話も途切れがちで、お盆という時間の不思議さが身に染みる。 楽しい時間は、長く続かない。苦しく悲しい時間は、永遠のように長い。 寂しがるのはこのくらいにして、また明日から楽しい出会いが待っている。気合い入れていきましょう。

働く事、生きる事

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黒部ダム 2023 生きている事は働いていることだと、信じていた。児島先生にお願いして、仕事を半分にしてもらってから、3ヶ月、慣れてはきたが、仕事をしないという不思議な感覚にいつも囚われていた。 私の祖母は96歳まで生きたが、その数ヶ月前まで働いていた。 主な仕事は漬物をつけることだったが、旅館の漬物と言うのは、呆れるほど大量で、人が入れる位の桶に2つ以上漬け込んでいた。 大量の白菜を天日干しして、塩と白菜の量を加減しながら漬け込んでいく。 その塩の計算が非常に独特で、広告の裏紙に彼女しかわからない計算をして塩の量を加減した。陽気な人で、従業員と焼酎を飲み、歌を唄ったり、踊りを踊ったり、今思えば、遊びながら、仕事をしていた。 その祖母も、家で亡くなった。おそらく老衰だったろうと思う。  私といえば、70歳になって、仕事を半分にして、山に行ったり旅行に行ったり、遊んでいる。 祖母の事を考えてみれば、生きることは、仕事と遊びの両方だったような気がする。 もっとたくさんの人に、たくさんのがんサバイバーさんに、たくさんの認知症当事者の方に、家族の方に、笑ったり、お話ししたり、歌ったりして幸せを感じてほしい。オレンジカフェや、がん哲学外来の仕事は、これから私が人を遊ばせる仕事だとつくづく最近思っています。

最後の仕事

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  三隈川の夕焼けを見ながら いつものことだけど、私の周りの事象はどんどん変わっている。私は変わらないのに 先日、訪問した患者さんは、私を見るなり、早く死なせてくれと言った。 どうしてそんなふうに考えるんですかと聞くと、もう生きていてもやることもない、自分には何もできないからだと言う。 そんなことありませんよ、まだあなたには大事な仕事が残ってますよ、今の貴方の気持ち、これまで生きてきた人生の話、子供さんたちに放してあげるという大切な仕事が、と言ってみた。 少しだけ、顔が明るくなった。黙っていた男性は、何か考え込んでいるようだった。 後で、娘さんが帰り際に、あんな明るい顔を見たのは久しぶりだと その人は数日後に旅立っていった。 ご家族とお話ができたかどうかは確認できなかったが、たぶん、しんみりとお話しをしたのだろう、家族は感謝してくれていた。 最後にどんなお話しをしたのだろう? gantetuhita.blogspot.com

話す事は離すこと

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  人間は、自分 1 人では自分の考え方・感じ方以上のことを考え出すことができません。話すことで「放し」、それを受け止めてもらって、少し「離し」て考えることで、事態は少しずつ進んでいくのです。(岩倉匠 臨床心理士) カフェでたくさんの方のお話しを聞いていると、話したいことを洪水のように話す方が多いということです。誰にも話せなかったこと、こんなこと話したら、暗いやつだと思われないか?、 惹かれてしまわないか?、嫌われないかと心配しながら、人は話していたんだということがわかります。 樋野興夫先生は、カフェの主催者は、暇げな風格が必要だと言われていたことが、実感できます。 言葉を自分から話すことで、スッキリする放し効果だけではなく、身体から離れることで冷静に物事を考えることが可能になるわけです。 そうやって言葉が、ふわりと空中を漂い始めると、なんとなく、自分の心にストンと落ち込んでいくような気がします。不思議な感じです。議論しているわけでもなく、結論を誰も求めない空間の中で、気持ちが落ち着いていくのがわかります。これぞカフェの醍醐味かと、一人でコーヒーを飲みながら頷いてしまいました。

第二回カフェを終えて

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  第二回カフェを終えて ご参加の皆様、今日は遠路ありがとうございました。7名の参加者とまったりと楽しくお話しができました。 林先生、石井様、お手伝いありがとうございます。 おかげさまで、第二回カフェもつつがなく、格調高く終了いたしました。 ^_^ なかなか個性的な参加者の自由な発言に翻弄されながらも、心の中で、ゆるく、ゆるくとブレーキをかけながら、林先生のカフェをお手本に、まったりと進行したつもりですが、なかなかうまくいきませんでした。 やはり、林先生は偉大です。 それでも、最初は緊張していた方達が、最後には笑顔になれて何よりでした。 これも皆様のお力と、カフェという場の持つ不思議な空気のようなもののお陰と思っています つくづく、樋野興夫先生の考えられたがん哲学外来カフェの奥深さを思い知らされました。 上手にやることより、継続することが大切だと考え、100回開催を目標に頑張ります。 次回もよろしくお願い申し上げます。 最後に樋野興夫先生の言葉 「今日が人生最後の日」と思って生きると、人間は幸せに近づける。今日が最後の日だと思ったら、少なくとも再発の心配はしないでしょう。

開催場所 黎明館(れいめいかん)と駐車場の告知

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  開催場所  隈町づくりセンター  黎明館(れいめいかん)   土曜日は外来診療が基本的にお昼までなので、 午後 12 時半以降でしたら、上記の地図の1番から12までに順番に止めてください。 黎明館裏の駐車場も使えます。空いていれば 火曜日は12時以降に、1 −5 番までで、足りない場合は、隈診療所受付でお尋ねください。   変更になることがあります。カフェのブログをご覧になるか、お電話しておいでください。 おいでになる際は、 必ず予約をお願いします。   隈診療所  22 − 0033  隈診療所   梶原まで      

傷つきからの成長

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7月13日に京都で、がん哲学外来市民学会に参加してきました。そこでの研修の中で、気になったことをすこしづつご報告いたします。 最初はPTG(心的外傷後成長、傷つきからの成長)というお話です。  PTSD(心的外傷後症候群)は1990年代に、アメリカの歴史上始めての敗北であるベトナム戦争から、帰還した兵士の復帰後の精神症状などから研究が始まった。その過程で、PTSD以降に、それを乗り越えた人たちや、さらに成長を遂げた人たちがいるということがわかった。 こうした成長に焦点をあてた考えが、PTG(心的外傷後成長)と呼ばれる。 研究を行ったテデスキらは、心的外傷(ストレス)の後に、「何かが変わった」、他社との関係が変わった」「生き方の哲学が変わった」ということに着目をして分析を行った。  まったく心的外傷を受けずに生きていくことは困難かもしれない。事故や災害、事件など、人はなんらかのストレスを受けた後に、心が回復していく強さを持っている。このことを回復可能性(レジリエンス)という。 がん患者さんも、がんと診断されて、その事実を受容できるまでに、数週間程度の、長い時間がかかるである。研究に寄れば、他者との関係観の成長、自分には他者が必要なのだという変化、弱さがあるからこそ必要なときには他者を頼っていいのだという感覚がもてるようになる。 そして新たな可能性について気づき、他者および人生に対する感謝がもてるようになると、文献には書かれてある。 大切な人を失ったり、強いストレスにさらされた後について考えても、時間がたつと、そのことがあったゆえに、今の自分があるという感謝さえうまれることは、自分の経験からも納得できる。 傷つきから成長していく過程の中で、いっしょに静かにお話をしたり、お茶を飲んで時間を過ごすことのお役にたてれば、それこそが、ガン哲学外来の真骨頂ではないかと考えています。(宮崎)

たとえば

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  普段のお話しで結構です、最近、こんな美味しい物を食べたとか、自分の孫が可愛くてしようがないとか、こんな話に感動したとか、なんでも結構です。 でもひょっとしたら、こんな話が出るかもしれません ●がんになったけど、働いていくにはどうしたらいいのだろうか ●高齢夫婦の夫が、がんになったけど、妻は支えていく自信がない ●がんの夫は妻が煩わしくてたまらない、夫婦を続けていく自信がない ●がん家系の中で、私もがんになったけど、楽しく生きてます ●夫ががんになった妻は、夫のする事が全部ストレスになっている ●私(妻)ががんになったけど、子どもたちはこれからどうしていくのだろうか、考えると眠れない こんな話しばかりではありません、また、上のような質問に完璧なお答えができるわけでもありません。でも、一生懸命聞かせていただきます。 ご一緒に話して、考えているうちに、あなたの中の何かが変わるかもしれません。心が和らぐかもしれません。それだけがこのカフェの成果かもしれない。 解決はしなくても、解消はできます カフェにこられた時に、怖い顔をしていたのに、帰りには、スッキリと晴れ晴れした顔になっているのを見る時に、こちらも嬉しく感じてしまいます。 あなたもカフェ体験してみませんか?

じゃがりこマインドフルネス

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  じゃがりこは不思議なスナックだ。 美味しいのだが、何が美味しいかと言われるとよくわからなくなる。旨みはあるが、それほど強くはない。口の中でとろけるかというと、むしろジャリジャリしている。 ただ、噛んだ時のボキッと感、口の中で、次第に崩れていく崩壊感、微妙な後味、どれをとっても、じゃがりこ以外にはありえない そこがいい 食べている間、一切のことを忘れて、溺れる、言ってみれば、じゃがりこマインドフルネスとでもいうのだろうか? とにかくハマっていることは間違いない。ただ、いつも食べているわけではない。新幹線に乗る時に必ず買って乗るようにしているだけだ。 しかも、じゃがりこサラダ味の一択。 あの新幹線の中の、なにもする事がない、でも何をしてもいい自由な時間をじゃがりこと、ともに過ごす瞬間を、実は待ち望んでいる。新幹線に乗る楽しみの一つになっているわけである。

ガン哲学カフェ ひた鮎カフェ第2回の告知 7月23日(火曜)

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  がん哲学外来カフェひた鮎カフェは、 がんサバイバーの方や、ご家族、友人、 知人の皆さんのための、サロンです。 どなたでも参加できます。10名に制限しています。 予約が必要です。隈診療所22-0033に電話 ※がんサバイバーの方が優先になります。 有料 200円(茶菓子代) 第2回 7月23日(火曜) 14時から 場所 黎明館 黎明館 ( れいめいかん )   日田市隈町 2 丁目 2-1 要予約 お問い合わせは 隈診療所 0973-22-0033   詳細は gantetuhita.blogspot.com

大分ふぐカフェに参加して、令和6年6月30日(日)

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  大分ふぐカフェに参加してきました。 大分駅裏のホルトホールの3階会議室で、毎月1回、日曜日の午前10時半から、2時間開催されます。詳しくは「大分ふぐカフェ}で検索すると、ホームページがわかります。駐車場も、ホルトホール下にあります。以外に空いています。 定員は12名で、ホームページから予約が必要です。 私も3回ほど参加させていただき、毎回、癒されています。(⌒∇⌒) この日は10名ほどの参加で、医療関係者が4名、6名ががんサバイバーでした。 最初に会の注意をみんなで読み上げます。もちろん、そこで知りえたことをほかでしゃべらないこと、お互いの連絡先などは。個人で問い合わせること、人の話は批判したりしない、最後まで聞くといったことです。 その後、林先生の司会で、自己紹介をひとりずつして、その後、しゃべりたいことがある人から、しゃべる。あるいは林先生が、指名して、しゃべってもらうという形で進みます。 林先生は、決して急ぎません。ゆっくりと最後まで話を聞いてから、いったん、のみこむように、ふーん、そうか、あなたはそう思ったんだねと相槌をうちます。 そして、おもむろに、別の人に、あなたは、どう思いますか?と降ってきます。 その間合いが、実に微妙です。感心します。水が流れるように、するすると時間が流れます。話したいことがあれば、手を挙げて話すこともできます。 誰も、それを邪魔しないし、しっかり最後まで聞いてくれるのは、とてもありがたいです。1時間ほどして、すこし休憩を取り、再開。 自分の病気や環境について、かなり「濃い話」をさらっと話す皆さんの顔は、どれも笑顔で屈託がなく、うれしそうです。 まるで、戦友に苦労話をするよう。 他では言えなかったことが、ここでは普通にしゃべれるという解放感なのでしょうか。 あっというまに2時間がたちます。 また会いましょうという、皆さんの声は、儀礼ではなく、また会いたいですねという気持ちにあふれています。 会場をでて、車にのり、ハンドルを握る私も、来た時よりも、すこしだけうきうきとするような気持ち良い体になっていることに気が付きます。 カフェは絶対に必要なことだと確信しながら、家路につきました。