死にゆく人とお振舞い

 

御前岳のキツネノカミソリ

何年も前、看取りの段階に入った患者さんを訪問して驚いたことがある。

 山間部の集落、80代の女性、悪性腫瘍で数週間の訪問診療を行なった末、あと数日と宣告したのだが、翌日、訪問すると、近隣の人が何人もお見舞いに来ており、その隣の部屋では、豪華な鉢盛り料理にお酒の支度があり、見舞客は一応に、帰りにその振る舞いを、受けているのである。

その地域独特の風習かもしれないが、まるでその看取りを祝うかの様に、明るい話し声さえ聞こえる。

私にまでビールを勧められたが、仕事中でもあり、丁寧にお断りした。


本人は、最初から固く延命治療を拒否しており、最後の時を、孫の入学の後だと決めていた。痛みや苦しみもあったに違いないが、うめきもせず、酸素の管を鼻にしながら、皆に感謝を告げて、私に、眠る注射をしてくださいと懇願した。

数時間の後に、彼女は眠る様に亡くなった。


全く、取り乱すこともなく、予定通りに、旅立っていった彼女の毅然とした眼差しだけがいまでも思い出されます。

彼女と家族、その地域の人々にとって、生と死は、静かに連続した関係性なのだということを思い知らされた。


一般に行われる四十九日や初盆の儀式も同様のことかもしれないが、それらは、残された人のためのもので、この場合は本人を目の前にしての祝いである。

祝福するほど生と死は、連続的で、たくさんの人の人生の句読点であった。

私たち医療者は、その流れの中でくるくると回る木の葉のようなものかもしれない。

何ができるのだろうか、何をすべきなのだろうか


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