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久しぶり

 ネットのどこかで見つけた記事に、こんなものがありました。正確に覚えているわけではないので、少し違っているかもしれないけど、趣旨は間違っていないと思います。 ある寝たきりのおじいさんに、死ね前にしたいことがありますか?という質問をすると 「とこやに行って、さっぱりとしたい」というのです。どうしてですかと聞くと、 「久しぶりにばあさんに会うので、、、」といったそうです。 素敵なご夫婦ですね。生と死は、つながった直線のような気がします。死の瞬間、不安や恐怖、愛した人との別れもあるかもしれませんが、こんな考え方もあるんですね

水の中で考える

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  水の中 昨日、久しぶりに川に入った。甘くみていたが、かなり深く、足は届かない。ずぶりと水のなかに沈む瞬間、これはまずいなと思った。泳げないわけではないが、恐怖感のようなものが、上回って、かなり怖かった。 孫の手前、ニタニタしていたが、内心は、、、 高齢者、水の事故という見出しが頭をよぎる 水の事故報道が続く最近、他人事のように考えていた死というものが、目の前に突きつけられる恐怖。大袈裟かも知れないが、我々の生は死と隣り合わせにあることを気づかせる。 メメントモリ という言葉がある。常に死を意識せよという言葉だと思うが、一方では、「葉隠」には「武士道とは死ぬこととみつけたり」という一説がある。 死というものを、意識することなく、生きていければ、平和かもしれない。しかし、死を意識することで、生を一層明るい、輝かしいものにできれば、さらに意義のある人生になると考えられないだろうか? がんだけでなく、致死性の病気や災害に直面する時、人は命のもろさを痛感させられる。それゆえに、生は輝かしく、喜ばしいものだ。 感謝して生きていくべきなのだろう 蝉時雨が一段と大きく、頭の上で鳴り響く夏の午後だった。

ガン患者さんとお話をする時

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  傾聴と沈黙 そして一歩踏みだす 傾聴 緩和ケアにおける患者さんとの接し方の基本的手法は、傾聴である。ひたすら患者さんの話に、耳を傾けて、患者さんが何を悩んでいるのか、何に苦しんでいるのか、言葉の向こう側にあるものを、感じ取り、共感しなければならない。 これは、とても大変な作業で、根気と愛情、友情がなければ困難である。 結局、癌でない人には、本人の気持ちは分かり合えないのかもしれない ある講演会で、たぶん、 スピリチュアルケア研究の「村田理論」で知られる村田久行先生だったと思いますが 、ある先生が質問しました。「癌でない私たちは、がん患者さんの本当の気持ちを理解することができるのでしょうか?」と すると村田先生はこう答えました。 「完全に理解することは難しいかもしれません。でも限りなく近づくことはできると思います。」と 傾聴は、相手を受け入れること、共感することだと言われます。 相槌を打つことも重要な要素です。ただ、うんうんと言っているばかりでなく、そうか、そうだよね、貴方はそんなふうに思っていたんだねと、相手の言葉を繰り返して、支えてあげるのも良いかと思います。 相手が言葉に詰まっても、待っていてあげてください。決してせかしてはいけません。 慰めや励ましは無用かもしれません。でも、もしお話ししてあげるのであれば、私はこう感じたというお話はいいかもしれません。 涙が出てもいいと思います。正直な感情を相手に伝えることができます。 沈黙 沈黙があったとしても、恐れることはありません。 静かに相手が何を感じているのか?何を悩んでいるのか?を考える時間にしてください。 樋野興夫先生は、「患者さんと話をしていると、ふと、 沈黙 が訪れるときがあります。そ. のとき、患者さんがスーッとお茶を飲んで、 それから本当の悩みを話してくれるようになるようになり、ここから本音を話してくれる。」と語っています。 一緒にお茶を飲むことも重要なポイントです。                           話を聞いている時に大事なことは、決して相手を否定しないことです。 自分の感情や信念を押し付けるのではなく、相手の気持ちになりきって、寄り添ってあげることです。相手は、話すことで、自分自身の気持ちを理解することができて...

がん患者さんとどう接するか?

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九重連山三俣山とトンボ  よく聞かれる質問です。重たい問題です。難しい問題です。ご夫妻、親子、親戚、友人などなど、個人個人で状況が異なり、一つの回答はないと思います。 でも大切なことは、ご本人は、がんになったからといって、がんという生物に変化してしまったわけではなく、いつも通り、あなたの愛した人間そのものであり、これまで送り、人として愛を持って、普通に接し、愛するしかないと思います。 がんという特別な病気にかかったのではなく、がんという普通の病気にかかっただけです。 特別だという考えは、ひょっとしたら、自分とその人の間に線を引いているかもしれません。 医学の進歩のおかげで、がんの五年生存率は65%であり、脳卒中と対して変わりありません。二人に一人ががんになるわけで、珍しい病気でさえありません。 がんになったことをきっかけに、人生や家族、自分や家族のの幸せについて考え、実践していくことは、がんになろうが、なるまいが大切な事で、それこそが生きている証なんだと思います。 もう一度言います。普通に接してあげてください。そしていつものように愛してあげてください。それしか方法はありません。悲しかったら、一緒に泣いてあげてください。感情をコントロールする必要はありません。我慢は良くないです。対話をやめないでください。口に出さなければ、人間は理解し合えません。そうやって生きていく事が人生なんです 樋野先生の言葉の処方箋より 人生いばらの道、されど宴会 開き直って、どっしり構えてみませんか

死にゆく人とお振舞い

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  御前岳のキツネノカミソリ 何年も前、看取りの段階に入った患者さんを訪問して驚いたことがある。  山間部の集落、80代の女性、悪性腫瘍で数週間の訪問診療を行なった末、あと数日と宣告したのだが、翌日、訪問すると、近隣の人が何人もお見舞いに来ており、その隣の部屋では、豪華な鉢盛り料理にお酒の支度があり、見舞客は一応に、帰りにその振る舞いを、受けているのである。 その地域独特の風習かもしれないが、まるでその看取りを祝うかの様に、明るい話し声さえ聞こえる。 私にまでビールを勧められたが、仕事中でもあり、丁寧にお断りした。 本人は、最初から固く延命治療を拒否しており、最後の時を、孫の入学の後だと決めていた。痛みや苦しみもあったに違いないが、うめきもせず、酸素の管を鼻にしながら、皆に感謝を告げて、私に、眠る注射をしてくださいと懇願した。 数時間の後に、彼女は眠る様に亡くなった。 全く、取り乱すこともなく、予定通りに、旅立っていった彼女の毅然とした眼差しだけがいまでも思い出されます。 彼女と家族、その地域の人々にとって、生と死は、静かに連続した関係性なのだということを思い知らされた。 一般に行われる四十九日や初盆の儀式も同様のことかもしれないが、それらは、残された人のためのもので、この場合は本人を目の前にしての祝いである。 祝福するほど生と死は、連続的で、たくさんの人の人生の句読点であった。 私たち医療者は、その流れの中でくるくると回る木の葉のようなものかもしれない。 何ができるのだろうか、何をすべきなのだろうか

第3回がん哲学カフェ ひた鮎カフェ開催 8月10日(土) 

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● 第3回がん哲学カフェ ひた鮎カフェ 8月10日(土)開催の予告 暑さ厳しき折、皆様はいかがお過ごしでしょうか? 早いもので、第3回になりました。 第2回は7人の参加者をいただき、2回目の方も数人、飛び入りの方も、二人ほど なれない店長のもとで、どうにか、自由なお話ができたのではないでしょうか? コロナ感染者が微妙に推移しております。万全の対策を講じて、開催したいと思います。 ご参加の方には、参加前に、体温測定、手指の消毒、マスクの着用をお願いします。 会場にも用意はしております。 発熱、風邪症状、体調不良の方は、どうぞご遠慮ください。 お盆前の忙しい時期とは思いますが、どうかよろしくお願いします。 開催 第2土曜日もしくは第3火曜日 日時  第3回 8月10日(土曜) 14時      第4回 9月14日(土曜) 14時  場所 黎明館(れいめいかん)日田市隈町2丁目2-1 参加費 200円(お茶とお菓子代) 車でおいでの方は、土曜日は診療所がお昼までなので、午後12時半以降、やまと薬局横の駐車場、上記の地図の1番から12までに順番に止めてください。 足りない場合は、隈診療所受付でお尋ねください。 変更になることがあります。カフェのブログをご覧になるか、お電話しておいでください。 必ず予約をお願いします。隈診療所 22−0033 梶原まで