花火に祈る

今年も川開き花火大会が盛大に行われた。今年はコロナによる規制も一段落してせいか、人手が多く、すごい車の渋滞が問題となった。 うちの診療所は花火見物の行列が、かなり大勢、前の道路を通るため、患者さんが近寄れないほどで、土曜日は毎年、開店休業状態。 診療所前のコンサートも無事に終わりました。毎回ながら、若い人たちの音楽に対する情熱の熱さに驚きます。 夜の花火大会は楽しみではありますが、生まれてこの方、花火を見ない年はなく、いささか食傷していることも事実です。 大輪の花のように、咲き誇って、一瞬で消えていく花火に、人生の喜びや悲しみに似た淡い悲しみを感じるのはわたしだけでしょうか? そして楽しく過ごした瞬間も終わりが来て、また来年、このメンバーで会えるだろうかといういらぬ心配さえ感じるのは、きっと歳のせいでしょう。 実は、数週間前に、義理の兄が急死しました。その2週間ほど前に登山に行ったついでに、ご自宅に寄ったばかりでした。数年ぶりに顔を見て、なんだか、急に嬉しくなり、恥ずかしながら泣いてしまいました。とても元気そうで、最近の話などして、数年前に死去した姉の納骨堂まで二人で行きました。 思えば、それが最後の出会いでした。 電話の向こうの甥っ子は、まだ信じられない口調でした。 出会った時から、別れが約束されていることは誰しもわかるのですが、運命というか、別れは非情なまでにあっけないものです。であれば、今この出会いの瞬間に感謝したい。そう願いながら、大輪の花火に密かに手を合わせました。