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3月18日火曜日のあゆカフェ

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今日も楽しいお話をたくさんしました。5名参加されて、うち2名が初めての方でした。 それぞれ自己紹介をした後に、最近、楽しかった事、悲しかったことなどを話しました。 私は午前中に、歯医者さんに行っていきなり、歯を抜かれたことを話しました。 心の準備ができないうちに、あっという間に抜かれてしまい、帰りは呆然としていましたが、それぞれのお話しを聞いているうちに、患者さんではないけれど、こんなに打ち解けて話をする人は、家族以外はあまいなかった事に気づいて、面白かった。 帰りにはみんな仲間のような気持ちで、それぞれ家路につきました。 何気ない話し、深刻な話、そのどれもが確かに今ここで息づいている人たちの生の声で、それでも、しっかりと生活を築いている。 私はいつも考えさせられてしまいます。また、来月もどんな出会いがあるのか、結局、一番楽しんでいるのは私かもしれません。^_^

3月のがん哲学外来 ひた鮎カフェ

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  10名限定、予約は必要です。 ※がんサバイバーの方が優先になります。有料200円(茶菓子付き) ⚫️日時 基本的には第2土曜       都合により第3火曜       14時から2時 ⚫️ 場所      黎明館 ( れいめいかん )       日田市隈町 2 丁目 2-1 要予約 隈診療所 0973-22-0033   詳細は gantetuhita.blogspot.com 令和7年 第10回 3月18日火曜日 黎明館

4月から6月の予定

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  がん哲学外来 ひた鮎カフェ 3月から6月の予定 黎明館にて がん哲学外来 ひた鮎カフェの予定 第 10 回  3 月 18 日火曜日 14 時 黎明館 第 11 回  4 月 12 日土曜日 14 時 第 12  回  5 月 20 日火曜日 14 時 第 13  回  6 月 14 日土曜日 14 時 基本は第 2 土曜日ですが 私の都合で第 3 火曜日になることがあります、詳しくは隈診療所 22-0033 にお電話ください よろしくお願い申し上げます、 5月だけは、私の都合で20日火曜日です。よろしくお願いします

明日のジョー

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 明日のジョー デパートの催し物広場で、明日のジョー版画展というのをやっていた。 10時オープンのデパートに、行くことがあり、興味があって、会場に行ってみた。 私がどうも一番だったようで、受付のおじさんが、後ろからにじり寄ってきた。 明日のジョーの作者、ちばてつやさんは、今年87歳になり、今後、展示会が開催されると思えないそうで、これが最後かもしれないとも。 版画はピエゾプリントという特殊なプリンターのようなもので、インクを吹き付けているとのこと、発色が素晴らしく、生き生きしていた。限定200枚とのことで、お値段も数万円から、数十万円と結構な数字でした。 真っ白になったジョーが痛々しかった。たくさんのキャラクターを描いており、素晴らしい作品ばかりでした。 まあ、ポケットマネーで買えるような金額ではなかったので、じっくり鑑賞して、帰りました。 子供の頃に見た漫画の美しい版画、欲しいようでもあり、思い出の中だけでいいような気持ちもしました。

盗法秘伝

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 盗法秘伝 愛してやまない池波正太郎の「鬼平犯科帳」に盗法秘伝というお、話がある。 お上から休暇をもらった鬼平こと長谷川平蔵が、京都旅行に行く話だが、旅の途中に年老いた盗賊に出会い、気があったのか、一緒に盗みに入ったあげく、後継として、盗賊の秘伝を教えてもらうという話。 盗賊一筋に生きてきた老人も大したものだが、管轄外ではあるが、犯罪の後始末をして、本人に引退を促し、見逃した鬼平も何というか、おおらかというか、ちょっと首を傾げたくなる。  一方では、ネットフリックスなどのネット配信に溢れる犯罪もの、アクションものなどには、激しい殺人や詐欺、暴力に溢れており、犯罪が、社会悪であるという倫理観も全くないような気さえする。 ウケればなんでもいいという風潮も困ったものだと思う。 社会正義と犯罪のギリギリの境界で、どちらかというと、大衆への迎合というか、犯罪を認めてしまうような社会の潮流に、なんだか不安を感じるのは、私だけだろうか?

在宅医療100回講演の挑戦

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すべての人間には、自分の生命を自分で守り、その最後まで、その人らしく、生きていける権利があると考えています。自分の人生を人任せにせず、最後までその人らしく生きていけるのが、本当の人生だと考えてきました。そのために、医師として 18 年間、 24 時間 365 日のこの土地の在宅医療を見守ってきました。 しかしながら、いまだ在宅医療の精神は、すべての人に届いておらず、共感をいただけていないことを、感じていることも事実です。私も 70 歳になり、残りの人生をかけ、今一度、 その人らしく最後まで自宅で生きていける在宅医療 を、皆様にお届けするために尽力してまいります。 皆様のお近くの、公民館、集会場、ご自宅など、どこでも結構です。1時間程度の講演を無料でさせていただきます。お時間も平日のお昼間や夜間などでも結構です。ご相談させてください。「在宅医療と看取り」についてお話をさせてください。ご希望ならばハーモニカやオカリナの演奏などもあります。 何年かかるかわかりませんが、 100 回の講演を通じて、少しでも、多くの人に在宅医療を理解していただき、こんな最後だったらいいなあと思っていただければ幸いです 令和 7 年 1 月吉日 隈診療所 宮﨑秀人  

武器としての言葉

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  ある会合で隣に居合わせた若者が、「あいつらみんな病気だから」という趣旨の発言をした。医学に関わり合い、それを仕事にして数十年が経つが、病者に対する心ない言葉をたくさん聞いてきた。 本人は軽い気持ちで、酒の上の軽口で言ったのであろうが、心が痛んだ。 誰も好んで病気になどならない。 がんの患者さんも、時折、自分の罪のように感じておられる方を見かける。 それはひょっとして、過去に心ない言葉を投げかけられたか、そのような観念を誰かに植え付けられたのか、いずれにせよ、言葉は時として、凶器になる。現代の法治国家では、手をあげたり、害を与えれば、すぐに罰せられるので、滅多にそんなことにはならない。しかし、言葉は形として残らない限り、瞬間に空間に消えていき、証拠を残しにくい。あるいは、戦術的な才能さえあれば、微妙な言い回しの中で、相手の胸に突き刺さるような言葉を吐くこともできる。 ネット社会は、それを、恐ろしいほどの数の集団狂気に仕立てることも可能にする。 昨今の政治家は、ついに、ネットを利用し、大衆を自在に操る才能を得た。 扇状的なな言葉を発して、その間接効果で、経済をかき混ぜ、民衆を混乱させ、密かに自らの利益を得ている。その結果、苦しんだり、悲しんだり、虐げられたりする人を、膨大に作り上げても、なんの責任も取らない。 言葉が武器としてこれほど恐ろしい効果をもたらす時代があっただろうか? 言葉は本来、病んだ人を勇気づけ、励まし、幸せにするための道具ではなかったろうか。 もう一度、言葉を武器にしているあなたに問いたい。自分の母親にそんな言葉を発することができるのか。 言葉を大切にしてほしい、愛のために使ってほしい。