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がん哲学とは何か?もう一度考える

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  がん哲学は、特定の教義や定説があるのではなく、それぞれの人の中にある哲学こそが、がん哲学である。 つまり元々、自分の中にあるもので、誰からも教えることはできない。ただ、気づくためのヒントを与えることはできるかもしれない。 どんなにえらいお坊さんや、哲学者の言葉も、そのままに受け取るのではなく、皆さん自身の心の中にある、信念や心情、それらが元になって、それらを見直すことが、がん哲学だと、私は考える。 どんな素晴らしい言葉やお説教を聞いたとしても、その人の心の中に、真の意味で響かなければ、それは空虚な言葉の羅列でしかない。 自らの体験を人に語ることによって、その人の心の中にあるモヤモヤしたドロドロの塊から、何かが次第に形を成していき、やがて磨き上げた鉄のように強いものになる。 人の言葉ではなく、自分の言葉で、自分自身の哲学を磨き上げていくわけだ。 その行為を、静かに見守ることこそ、がん哲学コーディネーターの仕事である。 宗教とが哲学が、決定的に違うのはこの点である。自分自身の言葉で自分を磨き上げ、自分が進む方向や、自分の考えている未来を、具体的なものにしていく作業、それこそが哲学の根本である。 宗教と言うものに詳しいわけではないが、教義や理念に縛られ、その枠にがんじがらめに体を任せてしまう事は、容易であり、ある種の人たちにとっては救いであるかもしれない。 だが、がん哲学外来は、それを全て否定するものでもない。 宗教があったとしてもいい、なくてもいい、その未来に向かう姿勢そのものが大切な態度であると私は考える。 樋野興夫先生は、沈黙が大事であると述べた。沈黙は発言するもの。そして、それを聞くものの、両者の中に、反響し、その人にとっての真実の理念を作り上げる、あるいは形成していく、あるいは磨き上げていくと私は考える。 人間は哲学に救われる。そしてその哲学は、自分自身の経験や感性や成り立ち、生い立ちによって様々な側面を持つ。それゆえに、その人の哲学はその人にしか作れない。そういうものだと私は考える。

アウトリーチ

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 アウトリーチ 「アウトリーチ」とは、「手を伸ばすこと」を意味する言葉で、支援やサービスが必要な人に、こちらから積極的に働きかけて情報や支援を届けることです。 認知症の方のアウトリーチを行っています。 寒くなりました 暑い季節には今まで気づかなかったぬくもりや、温度差に気づかされる瞬間があります。 何気に握った患者さんの手の、意外なぬくもり、凍るような冷たさ、言葉や文字よりも、なんだか強く記憶に残る瞬間。記憶は、言葉に表せない気持ちに変わります。 気持ちを整理する方法はあまりありません 不安な気持ち、喜ばしい気持ち、悲しい気持ち 理解してあげるしかありません がん患者さんや認知症の方は、このような気持ちの世界で生きています そして、、それを誰にぶつけるでもなく、家族や近しい人、ぶつけてもかまわないような人に、ぶつけてきます。 そうすると、そこで、衝突が起こります 悲しい衝突です どうしようもない衝突です 本人とその対象者、いずれにも解決の難しい問題です であれば、第3者の出番です 第3者にとっても、重たい問題です、しかし、すこし隙間に風が吹き込むような効果があるかもしれません ないかもしれません でも、それで誰かが喜んでくれるならば、何でもしたいと思っています

柴犬くん

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 時々出会う柴犬くん 朝の散歩で、時々出会う柴犬くん。 いつも6時半に起きて、犬の散歩に出かけるのだが、時々会う柴犬くんがいる。柴犬は大抵ツンデレで、飼い主以外には馴染まないのだが、その犬は私のほうに近寄り、私が手を出すとその手をクンクン嗅いで。やがてぷいと顔を背ける。 匂いを嗅いで、その犬や人を識別しているのだろうが、どんな匂いを彼は感じ、どんなことを思っているのだろうか? 内科の開業医としてアルコールで、消毒したり、様々な消毒液に手を浸すことがあるが、そんな匂いがするんだろうか。あるいは私の食べ物や様々な分泌物を彼は記録するのだろうか、犬はそうやって、自分の中の名簿を書き換えているのだろう。 不思議なことだが、彼にどんな世界が見えているか聞きたいくらいだ。 固有の情報という意味では、顔や名前体型などが人間なら考えられるが、臭いと言う、いわば無限な感覚世界で記されるのはどんな記録なんだろう。 ひょっとして、警察犬や関税で税関で働く犬たちの強烈な個体識別能力を持つことを考えれば、臭いと言う強力なデータベースは、人間の文化よりも奥深く、魅力的なものかもしれない、とても興味を惹かれる。 そんな妄想にふける私だった。

恋する三隈川

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  生まれて71年間、三隈川を見つめて、育ちました。私の三隈川の思い出は、小学校低学年の頃、可動堰の袂にある鵜の形をした滑り台に始まります。コンクリート製で、鵜が嘴を開けて、その間を滑り降りすものでしたが、鉄棒がついており、子供心に、なんだか白いスベスベした巨大な怪獣ののように思え、怖かったような思い出かありましたが、中学生くらいに取り壊されてしまいました。 そのころは、そこら辺は水泳のメッカで、今のようにプールなどなく、夏になるとたくさんの小中学生が、岸から飛び込んだり、水辺で水遊びをしたり賑わっていました。  水辺は子供にとって大事な遊び場でしたが、夏になると増える水難事故のせいか、遊泳禁止区域となり、子供たちは居なくなってしまいました。 あれから半世紀、高校、大学、病院時代は川から遠ざかっていました。それでも、苦しいことや思い悩むことがある時、沈み橋の上に立つと、凄烈な瀬の音がシャワーのように、心を洗い清めてくれました。  当地に内科医院を開業し30数年、特にトイプードルを飼い始めての15年間、毎日朝晩の散歩コースは亀山公園下を通り、可動堰を渡り、中之島公園までの往復コースとなりました。 峻烈な朝焼け、三隈川に沈む真っ赤な夕陽、乳白色の底霧が立ち込める朝、四季折々を感じながら、楽しい散歩を続けております。  この数年、夏休みに、孫がSUPをしたいと言いだし、お願いして、付き添いに行きましたが、亀山公園の緑に映える三隈川の美しさに感動しました。この子供達が素敵な三隈川を思い出し、もう一度この川に帰ってきたいと思ってくれるなら、どんなに嬉しいでしょう。それまでは、この川が美しい水をたたえて、流れを保つことを望んでいます。