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北アルプス縦走記:蝶ヶ岳から常念岳へ――百名山13座目の達成!

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  🏔北アルプス縦走記:蝶ヶ岳から常念岳へ――百名山13座目の達成! 7月初旬、念願の北アルプス縦走に出かけました。福岡から松本空港へ飛行機で飛び、新島々から上高地行きのバスに乗って正午に到着。梓川の流れに沿って、観光客で賑わう河童橋を横目に、徳沢園まで2時間のトレッキング。ひんやりとした空気に包まれた森は静かで美しく、まさに避暑地。澄んだ川の風が肌をなで、北アルプスの山並みが間近に迫ってきたときは、感動で胸が熱くなりました。 徳沢園は井上靖の小説『氷壁』で知られる歴史ある山小屋。温泉付きでカフェも併設され、夕食にはまさかのステーキが登場。広い芝生には色とりどりのテントが並び、穏やかな山の夕暮れに心がほぐれました。 翌日は天候もまずまず。いよいよ蝶ヶ岳へ登頂開始です。コースタイム4時間半のところ、実際は6時間もかかってしまい、バテバテ。道中は急登の連続で、汗だくになりながらもなんとか蝶ヶ岳ヒュッテへ。山小屋は2畳のスペースをカーテンで仕切って2人で使用。寝苦しさは否めません。水は貴重で、1リットル200円。風呂もなく、体をシートで拭くだけ。歯磨きも洗濯も制限があり、登山の過酷さを改めて実感しました。 3日目は蝶槍を経て常念岳へ。このルートが予想以上に過酷で、岩場のアップダウンが続きます。何度も心が折れかけましたが、「九重と標高差は変わらない」と自分を励ましながら前進。ついに2966mの常念岳に登頂。あいにくガスがかかって展望は望めなかったものの、達成感はひとしおです。「これが最後かも…」とセンチメンタルな気持ちになりつつ、下山中にはなんと雷鳥に遭遇!砂浴びする姿に癒されました。 その夜は常念小屋に宿泊。清潔で気持ちの良い山小屋で、運よく相部屋を一人で使うことができ、しっかり休息。最終日は一ノ沢へと下山。水の豊かな渓谷で、「アルプスの天然水」を堪能しながらの4時間半の道のりは、岩場だらけで泣きそうになりましたが、無事に下山。穂高駅から松本へ戻ると、町は猛暑。冷たい蕎麦をすすり、久々のスタバのコーヒーを飲んだときは、都会のありがたみが身に染みました。 こうして、北アルプス3泊4日の縦走は無事終了。足はガタガタ、膝もグラグラでしたが、百名山13座目を無事に達成!次はどの山へ行こうか…疲労とともに、新たな夢がふくらむ旅となりました。

池袋演芸場

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 池袋演芸場 東京に行く機会があり、前から落語を生でみたいなあと思っていて、行ってみた。 池袋の駅の裏のビルの地下にある池袋演芸場は1951年に建てられ、30年くらい前に改築されたそうですが、ビルの一階に入り口があり、地下二階に演芸場がある。座席数は通路の椅子も含めて100人くらい ネットで調べて、夕方に行くと、もう10人くらいの行列ができており、とにかく並んで、常連らしいおばちゃんに色々教わった。最終的には80人近い行列になりました。 昼の部は、漫才や紙切り、などがあり、夜の部は落語が主体で、有名な方も名前がありましたが、知らない落語家さんも結構。 当日は隅田川馬石さんという師匠で、前座の人が一席演じて、その後三席くらいの落語を馬石さん。 100席くらいの会場は、舞台との距離が近く、息遣いも聞こえそうなライブ感。演目は名作 怪談 牡丹灯籠でした。 真面目そうな方で、現代落語の後に、古典落語をするときには、1人で何役もの声色を変えて、乗り移ったかのように、感情を込めて演じます。まるで演劇で、引き込まれるように2時間ほど聴き惚れていました。 言葉の芸術とでも言えるかもしれません。すっかり惹きつけられて、終わったのは9時を過ぎていました。 1人の人間が、一席30分以上のストーリーを記憶して、情感たっぷりにしゃべり続ける能力は脅威的なものです。 江戸時代の庶民の生活が見事に演じられて、あっという間に、時間が過ぎました。お洒落で楽しい落語がもう少したくさんの人に見ていただくと嬉しいなあと思いました。

本棚

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 本棚 テレビで建築家の家を見た。本棚が玄関横から、廊下の突き当たりにかけて10mほど続いている。見事なデザインである。斬新な設計ですねとアナウンサーが褒める。 昔、人生は本のようだとどこかで読んだ。人は誰でも、一生に一冊の人生という本を書くのだと、でも、本棚のようでもある。 長く続く本棚を、思い出の本で埋めていく。一つ一つには、楽しかったこと、嬉しかったこと、悲しかったこと、色々な思い出が詰まっている。時々、それを取り出しては、懐かしげに眺め、その時思ったこと、胸に誓ったことなどを、再び心に刻んで、次の本に取り掛かる。 本棚はガラガラのところもある。ぎっしり詰まっているところもある。 一生懸命、本棚を埋める作業が、人生かもしれない。虚しさに襲われ、埋める努力を諦め、呆然と海を見つめるときもあり、涙を流すだけのときもあるでしょう。でも、その一瞬一瞬が、すでに立派な本になって、本棚を埋めていっている。  幸せな人生というものがあるとすれば、ぎっしり並んだ豪華な装丁の本たちを、紅茶を飲みながら見つめて最後の時間を過ごすことかもしれないが、まだ埋められていない本棚を、悔しげに見つめて、朽ちていくのも、人生かもしれない。それでも、そんな人生も立派な人生だと思う。  たとえ並べられた本は、誰も読まないかもしれないが、誰かが、手に取って、感動してくれるかもしれない。  今日もまた、そんなことを考えながら、本棚に向っているドクタークマだった。